2019-02-22 第198回国会 衆議院 予算委員会 第12号
中江さんから何かそういうことを総理には御説明されていますかという話があったので、私は、もう私の記憶で、こういう統計の技術的なことなので、二〇一五年の三月の厚労省とのやりとりとか、その後も総理にはこの件は上げていない、報告していないということは申し上げた記憶がありますので、先ほど逢坂委員がおっしゃられた議事録の件と、おとといの件、それから、おとといの、九月十四日に厚労省が来たという件、それと、総理秘書官時代
中江さんから何かそういうことを総理には御説明されていますかという話があったので、私は、もう私の記憶で、こういう統計の技術的なことなので、二〇一五年の三月の厚労省とのやりとりとか、その後も総理にはこの件は上げていない、報告していないということは申し上げた記憶がありますので、先ほど逢坂委員がおっしゃられた議事録の件と、おとといの件、それから、おとといの、九月十四日に厚労省が来たという件、それと、総理秘書官時代
いろいろな資料がありますが、議事録とかいっぱい持っていますのであれですが、この答弁は、私の今の職ではなくて前の総理秘書官時代のことですので、私がつくっています。
今、自分は税関局長の立場だ、秘書官時代のことについては答えられないという話でありましたけれども、中江さんが答えられないとするならば、誰が答えられるのか教えていただけますか、その方に聞きますので。
予算委員会で参考人として招致をするということが決まれば、ここへ来て、御自身の秘書官時代の話もしていただけますね。あなたしかしゃべる人はいないんですから。よろしいですね、これ。
それと先ほど申しました官邸でお会いした三回と、私が総理秘書官時代、お会いした記憶は以上でございますけれども、それ以外にお会いしたかどうかは、ちょっと今覚えているものはございません。
実際、私は、総理秘書官時代、物理的に日本にいないとか、物理的に時間がないということはあったかもしれませんが、私が総理秘書官時代、私が覚えている限りは、アポイントの申入れをお断りしたことはございません。
総理秘書官時代も、外の方からアポイントの申込みがあれば、時間の許す限りお会いをするように努めてございました。その一環として、加計学園の方からアポイントの申込みがあり、お話を伺ったということでございまして、この特定の案件の提案を優遇してくれとか、そういう話はもう一切話をした、伺ったこともないし、そんなことをしたこともございません。
それから、私は総理秘書官時代、まあちょっと相当時間タイトでありましたが、時間がある限りは外の方のアポイント、申入れはお会いするようにしていましたし、私の記憶ではアポイントの申入れをいただいてお断りをしたことはなかったと思います。
○内閣官房副長官(野上浩太郎君) 柳瀬秘書官は、前回の答弁で、自分の担当することについていろいろな方々とお会いすることはありますけれども、秘書官時代に、自分の面会記録とか誰に会ったとかという記録は特に取ってございませんでした、手帳も含めて、そういう、どなたにお会いしたというのは、一切、全く書いたことはございませんと答弁をしております。
なお、本件の面談記録につきましては、柳瀬経済産業審議官御本人が、昨年の閉会中審査でございますけれども、自分の担当することについて、いろいろな方々とお会いすることはありますけれども、秘書官時代に自分の面談記録とか誰に会ったかというような記録を特に取ってございませんでした、そういった形で答弁をしているものと承知しているところでございます。 以上でございます。
なお、本件についての面会記録について、柳瀬経済産業審議官が国会におきまして、ちょっと引用させていただきますが、「自分の担当することについていろいろな方々とお会いすることはありますけれども、秘書官時代に、自分の面談記録とか誰に会ったとかという記録は特にとってございませんでした。手帳も含めて、そういう、どなたにお会いしたとかというのは、一切、全く書いたことはございません。」
○世耕国務大臣 御指摘の案件については、これは柳瀬審議官が総理秘書官時代の話でありますので、経産省としてお答えすることは控えたいと思いますし、柳瀬審議官が国会へ行くかどうかというようなことについては、これは国会でお決めいただくことだと思います。 この法案のサンドボックス制度や、あるいは御指摘の評価委員会のあり方については、私が法案を提出した責任ある大臣として明確に答弁をさせていただいております。
○世耕国務大臣 いずれにせよ、今御指摘の事案は、これは柳瀬経産審が総理秘書官時代の話でありますので、経産大臣としてコメントすることは控えさせていただきます。
実際、柳瀬元秘書官も、自分の総理秘書官時代には、五十年余り認められていなかった獣医学部の新設がどうなるかという制度論が議論をされており、制度を具体的にどこに適用するかという段階ではなかったということに加えて、実際に具体的な地点選定手続は私が総理秘書官の職を離れてかなり時間がたってから始まり、今治市が特区を活用して獣医学部新設を行う規制改革が決まったのが平成二十九年一月であることから、平成二十七年四月
○世耕国務大臣 いずれにしても、これは総理秘書官時代の話である以上、これは経産省の業務とは関係ありませんので、コメントはできないということであります。国会の出席については国会でお決めになることだと思います。
○世耕国務大臣 いずれにしても、総理秘書官時代の話である以上、これは経産省の職務とは関係ありませんので、経産大臣の立場としてコメントは控えさせていただきます。
いずれにしても、これは総理秘書官時代の話であるわけでありますので、経済産業大臣の立場としては、コメントは差し控えさせていただきたいと思います。
自分の担当することについていろいろな方々とお会いすることはありますけれども、秘書官時代に、自分の面談記録とか誰に会ったとかという記録は特にとってございませんでした。手帳も含めて、そういう、どなたにお会いしたとかというのは、一切、全く書いたことはございません。 官邸の入館記録は、私わかりませんので、今の内閣の方に聞いていただかないと、私がお答えするのはちょっと場所が違うのかなと思います。
その一人が現在国会議員の山本幸三さんで、この人はアベノミクスの実質的な仕掛け人であるが、秘書官時代からの付き合いが今も続いており、アベノミクスの初期から関係することになった。もう一人の秘書官が竹中平蔵さんで、彼は日本開発銀行からの出向であった。」と。 今日お出しいただいた経歴書のどの段階で関税局長の秘書官をしておられたんですか。
実は、私が橋本政権の総理秘書官時代の同僚です。ですから、個人的な恨みつらみは全くございません。個人的にはいい方です。しかし、いい方であるということと、こういった天下り、たらい回し人事をしていいかどうかというのは別の問題ですから追及をさせていただきましたが、公取委員長人事までが財務省事務次官というのは、全く私は腑に落ちませんね。 どういう資格基準、お考えで、こういった人事を提示されたんでしょうか。
ただ、宿舎全体は、先生も鹿児島県警や茨城県警や北海道警にたしかおられて、秘書官時代も宿舎、官舎に住んでいらっしゃったと私は思いますので、そういうことも全般的に考えながら私としては判断していきたいと思います。
これは日本郵政副社長の坂篤郎さんという、私も総理秘書官時代同僚でございましたけれども、彼の後任として行ったわけですけれども、これは裏下りに当たるんですか、天下りに当たるんですか、いかがでしょうか。
この約二年間にわたる総理秘書官時代に、先生は幾多の政治家とじかに接する機会を得られました。中でも、日ソ共同宣言調印のため、鳩山首相が病躯を押してモスクワに赴いたときの目的達成へ向かう精神力の強靱さに心を打たれたようであります。